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350: 木下さん大好きでした・・・    4月9日(月)05時15分 by 3948番目の私もスケベ

木下さん大好きでした。アイドル系の子なのに、ミカドの舞台脇で・・すごく嬉しかった!

351: そういえば    4月11日(水)11時48分 by くるりん
木下りりこさんの引退週は、毎日が楽日状態だった。出来る限りと思い、足繁く通った何日かの、その殆ど全てが満員御礼。ここは本当に渋谷OSなのかと我が目を疑ったものだ。キャリアとしては短命に終わった踊り子人生だったけれど、彼女はその短い時間の中で、驚くほど多くの人々の心をしっかりと掴んでいた。 終わらないで欲しいという願いは当然かなわず、やがて最後のステージが幕を閉じると、路上には、ひとが溢れた。数十人…もしかしたら百人近かったかも知れない。帰途を急ぐ者の姿はなかった。まだその辺りに漂っている残り香を惜しむ様に、多くの人々が立ちつくしていた。観劇の余韻で火照る身体に、夜の冷気が沁みて来る。ざわめきに背を向け、JRの駅の方向へと踵を返し、ゆっくりと坂道を下って行く、その最初の一歩が妙に重たかったことを、今でもまだ…覚えている。

352: 1993年の8月、今・・・    4月16日(月)11時21分 by 4948番目の私もスケベ
1993年の8月、今は亡き松戸A級に突入した。学生証を忘れて5千円とられたのは痛かったが、不二子嬢、御幸奈々嬢、浅草さやか嬢らが激しく闘っていて、充分元がとれた。平日の昼間だというのに、御幸奈々嬢が次々と花束をもらっていたのは、今でも印象に残る。ビルの立ち退き問題で暫く休んでいたが、同年11月、仲町通りに上野スター劇場として復活した際には、デラカブ所属のオナニークイーン如月舞嬢始め、OKな舞姫が揃って、再開を祝った。権力対策で、舞姫は皆バタフライを着用していたものの、如月嬢だけはバタフライをずらして、綺麗な秘所をバッチリ見せてくれた。その後紆余曲折があり、97年の9月にTS系列の「シアター上野」となって今に到る。上野フランス座と上野東洋が閉館した現在、シアター上野が激しく闘っている意義は、極めて大きい。全ての闘うまるス者の皆さん、ここを維持する為にも、共に激しく闘いましょう!

353: その頃は    4月16日(月)16時31分 by 私もスケベ
新宿OSに通ってたなぁ ムムム

354: 我々闘うまるス者にと・・・    4月17日(火)06時25分 by 闘うまるス男
我々闘うまるス者にとって、ショーアップ大宮は、聖地だった。1993年当時、先着15人には、個室でゴムながら、瞳嬢がテコキで昇天させてくれた。小生が遅漏と見るや、時間なくなっちゃうよと言いつつ、おフェラで昇天させてくれた。その瞳嬢は96年に、盆でお料理ストリップを披露して、激しく闘った。当時の名物社長上山さんは、トリ前に盆に登場し、翌週の香番を激しく宣伝する。そのアジを聴くと、来週も突入するぞとの気持ちを、激しく揺さぶられた。その後、アジア大に一芸入試で入学した人物が、卒業した途端に社長になったが、駄目なものは駄目(土井たか子)だった。その男が、色々と割引やイベントをするも、よみがえる事はなかった。きゃつに重大な決意をもって訴える、貴様を殲滅するぞ!

355: 2000年の2月か3・・・    4月17日(火)08時00分 by 4948番目の私もスケベ
2000年の2月か3月に、TSの右前の席に陣取った。隣のおっさんが、全ての舞姫とのまんこ丸出しツーショットを撮ってくれと言うので、協力した。おっさんはおお喜びで、お礼と称して、るあ(旧名三枝くるみ、雅くるみ)嬢の撮影会で撮った、まんこ丸出しの六切りカラー写真を沢山くれた。るあ嬢は現在花電車を闘っているが、やるからには最低15種の出しものを披露しなきゃ駄目。三条えりさんの野菜イレポン(大根、人参、さつま芋、茄子など)とフィストゲンコツ入れを見習って欲しい。更に、花電車をやるのは年くったおばさんとの偏見を粉砕して、激しく闘って下さい。

356: しつもーん    4月17日(火)10時12分 by 私もスケベ
シアター上野の掲示板で活躍されている「闘うまるス男」さんと、4948さんは、もしかしたらオトモダチ?なのかな(笑)

それにしても、4948さん、どうしちゃったんですか?「〇〇こ〇〇こ…」と連呼するなんて。らしくないですよ。エロイけど詩情溢れる「秘所をバッチリ」というフレーズがお気に入りだったのに。 残念だなぁ(泣)

357: ↓↓君の名は    4月17日(火)20時24分 by 私もスケベ
「瞳」さんじゃなく「ひとみ」さんですよね。お料理ストリップ、懐かしいな。小さな扱いだったけど、週刊誌のグラビアで見たコトも有りますよ(ストリップ特集)。若松で会った時、世間話の流れから、自分がその日、誕生日である事を告げると不意討ちで口唇を奪い「プレゼント」と言って悪戯っぽく笑った。人懐っこい笑顔が忘れられません。可愛らしくて優しい人でした。元気にしてるかな。

358: そりゃまた    4月18日(水)08時09分 by 私もスケベ
粋な女だなぁ。

359: 1994年の9月に、・・・    4月19日(木)06時19分 by 4948番目の私もスケベ
1994年の9月に、テレビ朝日のトゥナイトUで、田村ちなみ嬢と神咲れおな嬢のデビューを特集した。番組上で神咲嬢は、元信用組合勤務と明言したにも関わらず、メディアとTSは「元銀行員」とデマ宣伝を繰り返した。我々闘うまるス者を舐めるのも、いい加減にしろ!前職が何であれ、闘う舞姫と共闘するのはクラッカーなのだ!彼女の天然美巨乳は、透き通る色白肌で、天然の静脈が青く浮き出て、絶世の美しさだった。関東では、TS・浅草仏座・日の出(現浜劇)でしかポラをやらず、TSでは、当時の掟であったポラ切りを毎回やる為に、ポラ希望者の行列は、毎回激しい肉弾戦だった。内外タイムス紙上で、みのわひろお爺さんが言うには、腹の手術をした為に、客に見せられない体になったので、引退を決めたと。しかしその頃既に認知症が始まったと思われるみのわ爺さんの言うことを、全て信じる訳にはいかなかった。最後に拝見したのは1995年10月10日の浅草仏座。当時極めて性能の悪かった(今のインスタックスも同様)フジのカメラで、1枚千円はたいて美巨乳と桃色の秘唇を撮影したのが最後のお別れとなった。田村ちなみ嬢は、美微乳で、それが魅力の一つだったのだが、誰の入れ知恵か、胸を整形してしまったので、論外だ。全ての闘うまるス者の皆さん、最近はオッパイを整形する技術が向上したが、微乳であっても、親から貰った容姿で激しく闘う舞姫に固く連帯し、共に激しく闘おう、まるス革命の日まで!

360: ↓正確には    4月19日(木)09時36分 by 私もスケベ
×クラッカーなのだ
〇「当たり前田の」クラッカー なのだ

うぅッ 世代がワカルなぁ(泣) でも、コレでイイのだ!(^o^)

361: 白黒テレビで    4月19日(木)18時00分 by 私もスケベ
はぐれ刑事が着物着て、おちゃらけるヤツでしょ?

世代じゃないけど 見たことある捧捧

362: ↓オイラだって    4月19日(木)23時27分 by 私もスケベ
リアルタイムでは見ていないのだ。幼い頃、周りの大人たちが「ソンナコト、アタリマエダノクラッカー」とか良く言っていたので、いつの間にか、刷込まれていたカンジなのだ。ウルトラマンだって、再放送されたのを見たのだ。でも仮面ライダーは…一号からしっかり見てしまっていたのだ。(^。^;)

うーむ。何が言いたいのか、よくワカラナクなって来たぞ(笑) 何て言うんですかね。昔は、ひとつ爆発的に流行ったギャグがあると、数年間、ソレでいけましたよね。高度経済成長期とはいえ、時計の針の進み方はいまよりもだいぶ、ゆっくりだったような。(*^_^*)

人も街も何もかも洗練されて…でも、ものすごく苛酷な時代に自分たちはいま、生きているのかもしれない。(; ̄Д ̄)

今日はよく、酒がマワルなぁ。 ( ^_^)/□

363: 2003年、渋谷道劇・・・    4月20日(金)06時07分 by 4948番目の私もスケベ
2003年、渋谷道劇で松島亜美嬢がサインポラを返してくれる際、秘所に必ずはがれにくいシールが貼ってあった。貴女のへっぺをちゃんと見たいから、シールは貼らないでねと頼んだら、「へっぺって何ですか?」と切り換えされた。北海道では、女の秘所をへっぺと言うとの予備知識を持っていたのだが、そうでもないらしい。あれほど広い島だから、全ての市区町村で同じ呼称ではないのだろうと悟った次第。然し、詩田笑子嬢にはちゃんと通じた。う〜ん、4948、今日もま〜たまた一つ、お利口になっちゃったものな〜。

364:    4月20日(金)09時30分 by 4番目の私もスケベ
「へっぺ」て自分はエッチするっていう認識でした。昔、高校時代に「俺は〇〇子とへっぺした」とか、みんなよく言ってましたから。

365: はじめて聞いた    4月20日(金)19時30分 by 私もスケベ
ボボとかメンチョとか
マンチョは聞いたこと有るけど捧捧

366: 1995年の5月か6・・・    4月21日(土)11時38分 by 4948番目の私もスケベ
1995年の5月か6月に、テレビ番組で、影山莉菜嬢と名取優嬢が、同席した。デビュー年と、年齢が同じであることで、両者は宿命のライバルであった。然しお互い冷静に闘っていたので、流石大人だなあと、感じた。全ての闘うまるス者の皆さん、色々な緊急事態に於いて、何ら乱れることなく、舞姫と共に激しく闘おう、まるス革命の日まで!うう〜ん、4948、今日もま〜たまた一つお利口になっちゃったものな〜!(QRのヤル気マンマンでのやる気大学に於ける、小俣雅子の台詞)。

367: それって    4月21日(土)18時05分 by 5367番目の私もスケベ
役名としてはマタ子、じゃなかったっけ?

368: やる気大学のアホな学・・・    4月22日(日)01時54分 by 4948番目の私もスケベ
やる気大学のアホな学生、小俣雅子(本人いわく、おぼこ娘)は、小俣キン、小俣ギン、小俣タマなど、頻繁に改名していました。それにしても、吉田照美とのコンビは、抜群に面白かったですね。今は早朝6時から、吉田照美と唐橋ユミ嬢のかけあいを堪能しています。

369: なるほど    4月22日(日)03時09分 by 私もスケベ
そうかー。道理で早朝のカキコミが多いと思った(笑)

そういえば昔、ニッポン放送のテレフォン人生相談をよく聴いていたなぁ。今でもやっているのかな?

370: オレはTBSラジオ    4月22日(日)03時13分 by 私もスケベ
深夜のばかぢから派
伊集院光のしか聴かんけど捧捧

371: 1987年の8月、渋・・・    4月24日(火)07時21分 by 4948番目の私もスケベ
1987年の8月、渋谷OSでまるスのデビュー闘争に決起した。学割で2500円だった。場内アナウンスがモゴモゴと言うと(全然聞き取れなかったが)、オッサン達が10人近くやおら立ち上がり、真剣にジヤンケンをするので、何事かと思った。激戦を勝ち抜いたオッサンが、本舞台に上がり、ズボンを脱いで待つ。その後はご想像の通り。ジヤンケンに負けたオッサン達は、畜生と叫んで悔しがるのが抜群に面白かった。。かくなる小生は、1993年の4月に新宿OSへ突入した際に、ジヤンケンをする客が一人もいず、場内アナウンスで、そこのお兄さん上がって下さいと言われたので、仕方なく闘った。素人おギャルとはへっぺをしたことがあったが、プロのお姉さんとは初めて。人前なのでイチモツがいうことをきかず、何とか半勃起のまま昇天した。相手はショートのワンレンがお似合いの、水原小夏嬢。それ以来度胸がついて、主に埼玉の小屋でジヤンケンをしたが、一度も勝てなかった。コロンビアの美形おギャルとせめて一度はお手合わせしたかった。全ての闘うまるス者の皆さん、日帝国家権力を打倒し、全ての小屋で本舞台闘争を復活させましょう!

372: ?    4月24日(火)13時48分 by 4885番目の私もスケベ
個室行きゃよかったじゃん
何言ってんの?

373: 4885さん、正鵠を・・・    4月24日(火)19時19分 by 4948番目の私もスケベ
4885さん、正鵠を射たご指摘ありがとうございます。小生も当時何度か個室に突入しました。料金4千円でコロンビアおギャルとへっぺを出来るのなら最高だと、ぬか喜びしたものの、彼女らは、必ずチップを要求してくるのです。それを拒否すると、愚息を一寸だけしごいて、その時点で元気にならないと見るや否や、「終わり、終わり」と仕事を投げ出して、平然と職務怠慢する事が続いた為に、個室闘争は諦めました。小屋の従業員に抗議しても、暖簾に腕押し・糠に釘でした。チップを千円として、総額5千円とすると、当時の小生にはとても大きな金額でした。また、吉祥寺・立川・八王子・西荻窪・高円寺・五反田・巣鴨・大塚あたりのまるピに割引券持参で決起し、指名無しならば、4千円で美形の若いおギャルに生で口内発射出来る事に鑑みれば、まるスの個室は極めてコストパフォーマンスが低いとの結論に達しました。全ての闘うまるス者の皆さん、まるピ・まるイ・まる性・まるデリ・まるソを目的別に使い分け、激しく闘いましょう!極悪の超ウルトラスーパー抜群猛烈ド級のファシスト石原慎太郎による、射精産業撲滅策動を断固糾弾して、共に闘いましょう、キャツを殲滅するまで!

374: 手引き    4月24日(火)23時21分 by あにじ
2−1−4−2を読みましょう

375: いちおう拾っておきますね    4月25日(水)21時58分 by 私もスケベ
4/24投稿
07時21分(おなにい)
19時19分(いくいく)

芸が細かいなぁ(爆)
でもワルノリし過ぎですぞ
4948さん (^。^;)
コレカラは気をつけてね (^o^)

376: セーラー服を脱がさないで    4月26日(木)18時49分 by くるりん
TSだったか上野だったか定かではないのだけれど、制服姿で楽しそうに踊る二人の姿は、今も鮮明に、記憶のなかにある。白×紺のセーラー服=宮沢えり/グレーのブレザースタイル=大信田ルイ。夏服で、軽やかな印象。特にセーラー服は、黒に近い濃紺をアクセントに使ったクラシカルなデザインで、本人のビジュアルと相まって、その清涼感は際立っていた。幼なじみの二人が、進学を機に、一人は公立の学校へ、もう一人はお嬢様の通う名門女子高へと道を違え、それでも時々は逢っていて…という様なサイドストーリーを容易に想像できる、最高のキャスティング。時はまさに、いわゆるギャル文化の最盛期で街には「過剰な」自分らしさで武装した、女子中高生があふれていた。ハマり過ぎるコスプレは、時として、本物を超えてしまう。いそうで、いない。理想の女子高生は、多くの人々の知る由のない、ストリップ劇場のステージ上で、その時、確かに舞っていたのだ…。

377: 大信田ルイ嬢が、「米・・・    4月26日(木)23時39分 by 4948番目の私もスケベ
大信田ルイ嬢が、「米国留学」する前はOKだった。宮沢えり嬢は、ポラのシャッターを押す前に、「セーノ」でかれんな表情を創るのがOKだった。まるスを辞める際は、引退興行などをせずに、ひっそり消えてゆくとの言葉通り、去って行った。1200Siで、綺麗な秘所を沢山接写しておいて、本当に良かった。

378: 大信田ルイさん懐かしい    4月27日(金)07時39分 by 年寄りのスケベ
デビュー間無しに某劇場から駅に行くのに道が分からないとのこと。劇場の方から「あんた連れてったり」はい喜んで。駅で電車待つ間に彼女はフルーツ牛乳を召し上がっていました。私「フルーツ牛乳飲んだこと無いなあ」彼女「飲んでみる?」ビンを差しだます。間接キス。忘れられない思い出です

379: 昔むかし    4月27日(金)13時23分 by 5086番目の私もスケベ
と言っても数年前のことだが、

浅草にカジノの踊り子も出てたんだよなー

亜利沙なんて、まだ髪が長くて、いい女だったなー

漣ちゃんは手話ベッドしてたなー

虹歩さんは出てなかったけど

すべては追憶の中…

380: いとしのエリー    4月27日(金)13時45分 by くるりん
「ピッ、ピッ、ピッ、ピィーン」 彼女自らが吹き込んだ、この、少々スットンキョウな声が響き渡ると、ポラロイド「ショー」が幕を開ける。いつ頃からだったろうか。美しく可愛らしい顔立ちに似合わない、そのちょっとだけ個性的な(でもカワイイ)声を逆手にとった演出に魅せられ、ポラを買うために手を上げる様になっていたのは。その他にも「3・2・1…せ〜の」でキメ顔を作ったり、ポーズを決めたり。そのタイミングをお客が逃すと「もう、何やってるのよー(笑)」的なノリで軽く肩を小突いてみせたり。撮り終えたポラを手渡す際には「蟻が十匹 …アリガジュー(ありがとう、の意)」と言ってみたり。とにかくお茶目だった。一見さんや彼女を初めて見る客は、何だかワカラナイがとにかく楽しそうに、常連客は微苦笑しながらもその光景を眺めていた。撮る側も、撮られる側も、それを見ている側にも開かれた、何かホッコリした、十分ほどの時間。単なる撮影タイムではなく、それは紛れもなくポラロイド「ショー」だったと、いまでも思う。そんな彼女も、ステージ上では真剣そのもので、その「凛」とした佇まいや所作の美しさにはしばしば圧倒された。「ピッ、ピッ、ピッ、ピィーン…」には張り詰めた空気を弛緩させ、一旦ニュートラルな状態に戻す、そんなネライがあったのかも知れない。そして彼女は「いつの間にか」いなくなった。人なつっこかったけれど、馴れ合いを良しとしない。そんな部分がどこかにあって、静かに消えゆく事が彼女の望みだったとしたなら、最後まで「らしさ」を貫いた…と言えるのかも知れない。彼女が「宮沢えり」を封印してもう何年になるのだろうか。即答できないほどの時間が流れていることは、確かなのだが。

381: 5086さんへ    4月28日(土)07時06分 by 3752番目の私もスケベ
浅草には虹歩さんも出ましたよ

382: 漫U記    4月28日(土)09時24分 by 私もスケベ
懐かしいphotograph

happy=lucky seven、open=you know、opera=you now?

遊さんはまだ観劇を続けてるのかな?

383: 3752さん    4月28日(土)13時49分 by 5086番目の私もスケベ
レスありがとうございます。

ストウィキで調べてみたらありました。

2002年1月
3景でアリちゃんとWですね。
他に現役なのは沙羅さんだけだなぁ…

384: 本日の夕刊フジに、御・・・    4月28日(土)21時27分 by 4948番目の私もスケベ
本日の夕刊フジに、御幸奈々嬢の初舞台が95年4月21日と書いてある。だが、小生の知る限り、92年の秋に旧道劇に演っている。この10年近く、マスコミに登場する時は、初舞台が常に95年4月21日となっている。どのような事情が有るのか不明だが、歴史の捏造は、自身のまるス闘争歴を一部であれ、抹消することではないだろうか?

385: いろいろと気になるなぁ    4月29日(日)05時21分 by 私もスケベ
「この10年近く」と長きに渡って事実を認識していたのに、ナゼ、今まで何も言わなかったのか。あえてこのタイミングでこんなコトを言い出すのはナゼなのかな〜、とか。

「どのような事情」なのか「不明」なのに、軽々しく糾弾するような物言いは、ちょっとデリカシーに欠けるんじゃないのかな〜、とか。

道劇スレにコメントが頻発することからも解るように、道劇(特に旧道劇&再開直後)に対する思い入れが強すぎるんじゃないのかな〜、とか。

あれほど個別のエピソードの具体的な年月日にこだわる割には大スター、「影山莉菜」さんのお名前を 莉「奈」 と書いていたりするのは(渋谷スレ4/26・23時12分)どうなんだろうな〜、とか。

そういえば以前、昔話のスレで大宮のエピソードについて触れた時も「ひとみ」さんを「瞳」さんと書いていたし。そして、その時だけHNを「闘うまるス男」にしていたのはナゼなのかな〜、とか。

いろいろと気になるなぁ(爆)

ちなみに自分は、ななきち君のデビューが何時かなんて…

全然、気にならないなぁ(笑)
      (^。^;)

386: 自分の名を残したい    4月29日(日)08時40分 by 私もスケベ
からですナナナ

byナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺の日記

387: 何故このタイミングか    4月29日(日)12時32分 by 私もスケベ
誰も止めに来ないので最近調子に乗ってきたから、とか。

388: ↓12時32分さん    4月30日(月)12時17分 by 私もスケベ
「調子に乗っている」というのは、@4948(闘うまるス男)さんAななきち君 のドッチのコトを言っているのかな。ソレも気になるなぁ。読解力がなくてゴメンね。   (^。^;)

389: そんなん    5月1日(火)10時17分 by あにじ
前者に決まってんじゃん
5:21さんの1行目読めば明らか

390: あにじさん    5月1日(火)12時07分 by 私もスケベ
スミマセン
12時17分=05時21分 なんですが…。
12時32分さんの書き方だと自分には両方の意味にとれる気がしたもので…。あえて野暮な質問をしてしまいました。混乱させてしまって申し訳ありません。質問の答えは多分、あにじさんの解釈で合っていると思います。代わりに答えて下さってありがとうございました。       m(_ _)m

391: ミカド娘    5月3日(木)11時33分 by
合ってるかな?
1992-05-01 芦川美紀
1992-07-11 阿修羅
1997-04-01 加勢恵
1998-08-01 篠宮涼
1999-01-11 天ノ川翔
1999-04-21 HIKARU
1999-05-11 木下りりこ
2001-08-01 北原ゆい
2001-08-11 水野リカ
2001-11-01 浅見みく
2001-11-11 森優希奈
2002-03-21 結城麻衣奈
2002-04-21 百合野みわ
2002-04-21 小沢幸子
2002-05-11 一木圭
2002-11-01 夢千里
2003-02-01 花みずき
2003-03-01 恋にしき
2003-03-11 絵理
2003-03-21 神田ひびき
2003-05-11 湯浅葵
2003-05-11 神坂はるか
2003-06-01 羽賀弘美
2003-11-21 倉沢みなみ
2004-01-21 川原れい
2004-05-01 松本ひなつ
2004-07-01 四季野愛
2005-03-01 桜井杏奈
2005-08-01 結衣
2006-02-01 佐藤悠梨亜
2006-04-21 かすみ玲
2006-05-01 秋元みり
2006-07-01 岡崎りな
2007-10-11 風花ゆい
2008-01-21 笹原愛
2008-05-21 及川里空
2008-11-01 北条雫
2009-04-01 江坂れん
2009-07-01 愛野すみれ
2009-07-11 樹里亜

392: 悲しみよ こんにちは    5月4日(金)07時10分 by くるりん
ステージはクライマックスに差し掛かっていた。春先になると何曲もの「桜ソング」が出そろい、覇を競っていた、数年前のあの頃。彼女もまた、自身の境遇に重なる、ある新人アーティストの曲に乗せて、瑞々しく舞っていた。曲中何度もリフレインされる「さくら ひらひら 舞い降りて 落ちて」というフレーズに合わせて見得を切り、ポーズをつくり、懸命に脚を上げていた。その頬がピンク色に上気して見えていたのは、曲のタイトル[SAKURA]に合わせた照明の色づかいのせいばかりではないだろう。場所は、シアター上野。踊り子は、岡崎りな。少し前の夕刊紙のインタビュー記事で、(新居に移り、これからは腰を据えて活動できる体制が出来つつある…)との内容の文章を読んだ記憶があった。万人を唸らせる美人でも、正統派アイドルでもなかった彼女は、しかし、ステージ上では、原石の輝きを確かに放っていた。こころ密かに数年先の飛躍を期待していたのだが…しかし、それがかなう事はなかった。彼女の姿を見たのは、個人的には、それが最後だったはずだ。以前にも何人か「あれが、最後だったんだな」的な想いを抱かせられた踊り子は、いた。その切なさや、さびしさといった感情は、むしろ懐かしくさえあった。そして、いつも思う。「また今度見に来ればイイや」の「また今度」が本当にあるのかということを。漫然と見ていていいステージなんて、ひとつもない。 同じ瞬間は「二度と」来ない。

393: 98年7月、横浜花火・・・    5月10日(木)03時49分 by 私は助平
98年7月、横浜花火の夜に野毛に突入したら、案の定ガラガラ。オキニのステージが終わったので、帰ろうとしたら、花電車のオバサンが帰っちゃ駄目よと叫ぶので、ビールをロハで呑むかと思って残った。手を挙げてビールの蓋開けに協力したら、見事に成功。早速呑もうとしたら、お兄さん500円よとの言葉に愕然。それまでビールの蓋開けは何度も経験したが、金を取るとはまさにダチョウ倶楽部!やはりバラドル小屋は駄目だとの思いを新たにした次第だった。

394: 95年の夏、鶴見新世・・・    5月10日(木)04時23分 by 私は助平
95年の夏、鶴見新世界に突入した。お目当ては2年目で人気爆発の、きらら嬢&美鈴嬢。2人は息もぴったりで、ポラではWオープンが大人気。バッチリ撮らせてもらった。ここは交通の便も良く、客もそこそこ入っていたのだが、97年秋に突如閉館。97年黄金週間にはポラではなく、大判カメラで千堂あやか嬢はじめOKな舞姫たちを撮らせてくれたのだが、あれが最期の輝きだったのだろうか。閉館後の2週間に渡って、内外タイムスのまるス広告欄に閉館挨拶を掲載したのが、経営者のきょうじだったのかもしれない。

395: 2001年の10月1・・・    5月10日(木)04時49分 by 私は助平
2001年の10月10日、大和に2度目の突入を果たした。何故か本舞台から盆までスライドする装置は作動しなかった。当日は激しい雨天で、大和名物の雨漏りをものともせずに、舞姫たちは激しく闘った。篠崎ひめ嬢が「あ〜っ、雨漏りちてゆ!」と叫んだことと、水野リカ嬢がポラの際に「ミカドの新人です、宜しくお願いします」と礼儀正しく挨拶したことが印象に残る。水野嬢が双子のまりあ&ゆりあとして出演したDVDを買っておいて良かった。バラドル2人とアイドル4人の香盤が定着していたので、それ以来最初の30分位は直ぐ下の呑み屋でガブミーノするのが小生の習慣となった。

396: 踊る大捜査線 [1/2]    5月14日(月)08時24分 by くるりん
踊り子さんが本舞台、もしくは盆でスタンバイした状態からステージを始める、いわゆる「板付き」。暗がりのなか、衣装の衣擦れの音、お客の囁き、軽く咳き込む声などがあったりして‥少しざわついた印象。すぐにステージを始められなければ、せっかくの緊張感が雨散霧消してしまい、ぐずぐずになってしまう事もある―――。その日の「彼女」は、その「板付き」を演目の真っ只中に持ち込んでいた。観客をあれ程の長い時間、暗闇に放置したのを見るのが初めてなら、誰もが息をひそめ、神経を尖らせ、これから起こるであろう「何か」を畏れながら待った事も多分、無いだろう。その、息を呑む様な緊張感に堪えかねて軽く咳き込む観客を、遠くの闇の中から、別の誰かが (ウルセェよ)小声で一喝する。その完璧なる暗闇を出現させるために、おそらくは、念入りに目張り等されていた筈だ。とにかく、怖い位に暗くて、塗込められた様な闇が、深かった‥。彼女が、決して狭くはないこの空間を「掌握」するのには、それまでのステージに費やした、十数分という短い時間で十分だった。誰もが、彼女の掌の中にあった。何時までも続くと思われた「暗闇と静寂の時間」は、やがて、唐突に破られる。叩きつけられる様に響く数発のアタック音は、同じパターンで数度繰返され、その後、ノリの良いメロディラインに乗せられて、曲が疾走り始める。直径数センチから1メートル程の複数のピンスポットが、盆から本舞台、そして客席までをも縦横無尽に駆け巡る。暗闇に交錯するサーチライトが躍動する彼女の裸体を数秒捉えたまま追走したり、振り切られたり‥。追いつ追われつの、さながらカーチェイス 的な展開が続く。いつの間にか場内には明るさが戻っているけれど、見ている方は、それどころではない。当時、第一テレビシリーズが始まったばかりの、「踊る大捜査線」の、あのテーマ音楽。滑り出しは不遇だったこのドラマシリーズの、この音源を、多分、誰よりも早く彼女は、ステージで掛けていた。その後のシリーズの大ブレイクを予見する様な「何か」を感じさせる、圧巻のパフォーマンス!「疾風怒涛の如く」曲と彼女がステージを駆け抜けると、耳をつんざく拍手の奔流が溢れた。すっかり明るくなった場内にはびっしりと人が犇めいていて、その誰もが身悶えするかの様に両手を打ち鳴らしていた。

          (続く)

397: 踊る大捜査線 [2/2]    5月14日(月)10時18分 by くるりん
(続き)

多分、自分もそうだが、その表情は「恍惚」に近いものだったと思う。十数年の観劇歴のなかでも、劇場で魂を抜かれてしまう様な経験をしたのは、後にも先にもこの時だけだった。場末のストリップ劇場に、その時、「シャーマン」は確かに降臨していたのだ。「彼女」の名前は緒方砂月。元々は振付け師だったという噂を聞いた。ステージに立っていたのは僅か数年だったはずだが、その間にしばしばちょっと他では味わえない様な体験をさせてくれた。場所は当時、数年ごとに[休業→再開]を繰り返していた、新宿ニューアート。後にロック座グループに降る事になるなど、この頃は想像すらしていなかった。熱く混沌としていた時代。夢の様な時間。 過去は遠くなった。

           (了)

398: 昔、黄門様のポラはNG・・・    5月24日(木)11時26分 by 私もおちりスケベ
昔、黄門様のポラはNGの子が多かったような気がする?

399: *********    5月24日(木)12時26分 by 私もスケベ
↓そんなことはナイさ(笑)


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