●永井荷風「裸体談義」
永井荷風「裸体談義」1949年1月「文学界」所載。ストリップ草創期からやや後れて1948年の浅草から始めた荷風の観劇。大正10年ごろのお座敷ストリップについても回想している。Kindle版や青空文庫にて無料で読める。岩波文庫「荷風随筆集(下)」に所収。1949年から翌年にかけて荷風作の劇が浅草ロック座などにて上演された。題目:「渡り鳥いつ帰る」「春情鳩の街」など「鳩の街」という歓楽街が当時あったらしい。
- 05/20 09:38- 6425番目の私もスケベ削除
●まるス思想の真髄
まるス思想の真髄興行の形態はどのように変遷しても、持続する真髄を見失いたくない。電子的な媒体の観賞に解消してしまうことのできない妙味がある。まるス劇場は学校にも喩えることができる。そこで成長を勝ち取ったという実感から感謝している。言葉では上手く表現しきれない。
- 03/23 15:45- 6421番目の私もスケベ削除
●てんすさん、失礼しま・・・
てんすさん、失礼しました。本題に戻ると、80年代はフィリピンのおギャルが、90年代はコロンビアのおギャルが担っていました。後者に関しては、「マネージャー」と称する外人の男達が、楽屋と観客席を頻繁に出入りするために、舞台にちっとも集中出来ませんでした。4千円出して個室に突入したところ、おギャルが「てぃ〜ぷ、てぃ〜ぷ」と連発しました。何の意味かサッパリ分からず、やっとチップのことだと理解したものの、断ったら挿入する前に1分間で「オワリ、オワリ」と賃労働を拒否する有り様。劇場の従業員に抗議しても、馬耳東風・暖簾に腕押し・糠に釘でした。その小屋は、旧ワラビOSです。どんな業界でも、労働意欲がない者ドモは放逐しなくてはなりません。
- 03/22 19:40- 5368番目の私もスケ削除