古書店にて発掘
東宝滑ヨ西支社より発行。1957年7月1日。
大阪OSミュージックの月刊資料パンフレット。
巻頭随筆「ヌード春泥尼」今東光
僕は、かつてヌードショウについて書いたことがあるが、
裸で対決するのは最上の芸だと考えてゐる。
衣裳をつけないと美しく見えないのよりも、
生れたままの裸が美しいといふのは、
女性として生れた最大の誇りだ。
今度、拙作「春泥尼抄」がヌードになつて御目見得するが、
春泥も遂に裸になるかと思ふと大変に愉快だ。
といふのは小説では彼女は廔々裸になってゐる。
小娘の時に裸で裸馬に乗るし、学校の寄宿舎の浴場では御附弟さんと
一緒に裸になるし、アミイと共にホテルのバスに入る場面がある。
けれども映画化された時には・・・(中略)
ヌードショウに取りあげられたので春泥は小気味よくも裸になる次第だ。(中略)
もし世の尼僧が、裸になる春泥に対して、軽蔑したり、憎悪するならば、
彼女等は真の仏法を知らざるものだ。
何となれば仏法の信受聞信とは、素朴な裸にならねば会得することが出来ないからだ。
聖俗を区別したり、喜怒を抱く前に、先づその邪念を断滅しなければならない。
裸になつて人生を体験するのでなくして、どうして救世済民の業を果すことが出来るだろうか。
(以下略)
- 01/20 11:46
- 6419番目の私もスケベ