オヤヂの魔窟
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●再

ストリップと私!!


私のストの原点です
10歳の頃より劇場通い


【芝居観劇&淡い初恋】

私が幼少を過ごした時代は戦争は終わって
食べることには不自由はなかったのですがまだ時代は
みな貧乏があたりまえの時代でしたから特に娯楽もなかった時代でした

私が小4年生のころでしたか?
地元で演劇の1ヶ月公演がありそこに子役で出ていた
美代?ちゃんはお兄ちゃんと一緒に転校してきました
当然1ヶ月先にはまた次の公演先に行ってしまいます
地元でも毎晩公演がされていますので大人たちは観劇に出かけています

ある日同級の美代ちゃんから「見にきてくれる?」と言われて
そこの芝居小屋に行くと今まで見たことのない光景をまのあたりにすることになったのです
照明といっても質素なもので裸電球にセロハンに色を塗ったような物でしたが
今まで見たことのない色彩に唖然としたものでした
10歳ほどのオンナのこが化粧を少しするとすごく大人びて見えたのです
そしてこの感覚が忘れられなくて親に内緒で夜劇場に通い詰めることになります
もうその時劇場通いが身に着いていたのでしょうね
そして7色の色彩感覚も強烈にこの時期身に着いたと思います

時代は昭和30年代後半
時は高度成長時代、東京オリンピックを数年後に迎えることで
世の中は活気づいていますが地方はまだ活気はないような時代です・・
テレビがようやく買えて、見るテレビは相撲かプロレスが定番の時代でした

親の目を盗んで芝居小屋に行くのはいいのだけれど少年の小遣いでは入場料が払えない
そんな時(これも時代背景ですが)入場料をお米で払えるシステムがあったのです
10人ほどの一座の食料はかなりのものでしょうね(今思うに)
幸い我が家は農家でしたからお米はありましたので家の米を盗んで
それをもって入場料にして何日かたった時でした
近所のおじさんに会ってしまいそれを親に告げ口されて小屋通いがバレてしまいました
厳格な公務員の父にこっぴどくしかられました
家の米を無断で持ち出したことと10歳そこそこの少年に(今思うに)いうなれば〇〇の世界?を知らせたくなかったのでしょう
そんなこんなでもうすぐ1学期も終わりの7月始め
まだ地方の小学校にプールがない時代、近くの川で体育の水泳時間がありました
一応みんな海水パンツ、スクール水着ですが美代ちゃんはパンツでした
そんな彼女にまわりはひやかしてましたが美代ちゃんは堂々としていました
普通同年代に見られたら恥ずかしいだろうに・・
そんな彼女を何とか守ってあげたい一身でした
親にもバレて劇場に行けなくなりなんとなく悶々とした日々を過ごしていた時
近所のおじさんが(親に承諾を得て)私をつれて行ってくれたのです
そこで見たものは今までと同じ小屋で、同じ照明、同じゴザの客席ですが後ろめたさがないせいか
とっても新鮮でした
あの時の独特の雰囲気や高揚感は今のスト観劇と同じです
あの時の裸電球と綺麗な照明を見るとタイムスリップして恍惚感さえ感じてしまいます
美代ちゃんはお兄ちゃん(2つ上?だったような)と時代物をやっていました
もちろん美代ちゃんが主役でおひねりもたくさんもらっていました
(その時までおひねりがあることすらしらなかった)
その後芝居好きのおじさんに何度か小屋につれて行ってもらいましたがついに別れの時が来ます


やがて7月20日の1学期の終業式の日がやってきました
学校で美代ちゃんに会うのはこれが最後のなると思うとなんだか哀しくなってきました
先生が「短い間だったけど夏休みの間に美代ちゃんは転校します」と紹介したところで
私は泣いてました
小学生の美代ちゃんと少し大人びた役者の美代ちゃんと両方知っていたので・・
もう小学生の美代ちゃんには会えない
学校で終業式の後「美代ちゃん、なんで水泳の時パンツだったの?水着がないなら休めばよかったのに?」と意地悪を言ってしまいました
「あのね、私は役者の子だから学校休みがちなので少しでも勉強遅れないようにしているの・」
と言ってくれました

そんなこんなでついに千秋楽がきました
(楽日)
近所のおじさんが「また楽日に連れて行ってやる〜」と言ってくれていたので
朝から楽しみにしていたらやがておじさんから仕事で帰えれないと連絡が入り
仕方なくひとりで小屋に行ったらそこに待っていたものは
私ひとりでは場内に入れてもらえないという現実でした
親から【ひとりで行ったら入れないでほしい】と連絡が行っていたのです

明日朝、芝居小屋に行けば美代ちゃんに会えると思って小屋に行くと
もう旅立ちの後でした
公演が終わった夜中の内にトラックで引越ししていたのです
 さよならも言えずに・・
淡い初恋でした
このことがずっと尾をひいてます

その後福〇第〇でストデビューしますが照明雰囲気は10歳の時見たのと同じでした
ゴ〇少年に多大な影響力を与えた美代ちゃんは今ごろどうしてるでしょうか?

最後に『今会いたい人、今応援したい人がそこにいるから応援する』
『明日には引退もしくは会えなくなることがあるかもしれないから・・』



ストリップと私!!
淡い恋から純愛へ

10歳の観劇&淡い初恋が終わって、ゴン少年はやがて思春期を迎えます

体は決して柔軟ではないのですが長距離を走ること
中学校の校内でも1.2番でした
そして県大会へ
当時は2000メートル走でした
6分そこそこで走れば県下のべスト3ぐらいの記録でしたがゴ〇少年はここで6分20秒の記録でした
(今の中学生は6分切るんじゃあないかな?)

それでも駅伝の名門の高校から誘いがありました
が、勉強にも自信がありましたので、県下有数の進学校に進学することとなります
そこで待っていたものは、今までは賢いのもそうでないのもいましたが高校は進学校ですから賢いのばかりです

そこで最初の挫折を味わいます
勉強なんてやっても、俺はだめなんだ!
当時は携帯もメールもありませんでしたので同じ位のオンナの子と文通をしていました
文通を続けて半年ほどたった高校1年の夏休み
当時、広〇県で全国高校総合体育大会がありました
わが地元は体操女子の競技会場になっていました
そこに文通してる女の子が福井でした
福井といえば当時、超高校級の武生高校の女子体操の羽生和永(はにゅうかずなが)選手でした
ちがっていたらごめんなさい
当然個人総合で優勝しましたが・・
のちに全日本選手権で段違い平行棒で優勝です!
が体は今の体操選手ほどキャシャではなくボリュームがありました

いまも、あわらに行くたびに、武生(たけふ)の駅を通るたびに思い出します
話がよそ道にそれましたが、
高校3年になり学園紛争があってそれもしだいに下火になりかけて受験勉強をすることになります
そして関西の大学に進学、それから2歳年上の鳥取の女性に生活面、性的な面を面倒見てもらうこととなります
時期は1971年〜1978年まで
神田川(南こうせつとかぐや姫)の世界です

あなたはもう、忘れたかしら・・
赤い手ぬぐいマフラーにして
ふたりで行った横丁の風呂屋
洗い髪が芯まで冷えて
いつも私が待たされた・・
窓の下には神田川

彼女は昼は本町のオフィス街で外資系OLとして働き、夜は北新地のスナックでホステスとして働いていましたというより
わたしの生活の面倒をみるために二つの仕事をしていたのです
今思うと申し訳ないことをしたなあ・・
と思います

そんなこんなで私が大阪で最初に行ったのが天満座(今の東洋とは逆方向)で地下にありました
まさしく青春の門です



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ストリップと私!!
純愛〜妊娠〜堕胎〜最初の別れ
ノンフィクションなので少し恥ずかしい

秋の夜長の踊り子さんやストファンの暇つぶしにでも読んでください

学生なのをいいことに鳥取県八〇郡河〇町の出身の二歳年上の彼女(和子)に甘えてばっかり・・
それでは彼女も嫌気がさしてきますよね
そのうち、二人の間にケンカが絶えなくなってきました
『少しはバイトでもしたらどうなの?』と彼女に言われます
そしてバイト探しに明け暮れて探したのはキャバレー(アルサロ)
当時はアルバイト感覚で勤めていたホステスがサロンで働いていたので・・
のボーイ
昼は電話局の電報配達員
当時は電話が行きとどいてなくて電報の配達がたくさんありました
【例:チチキトクスグカエレ
くとう点を間違えてなんと何と読むのだろうというのもたくさんありましたよ】
が、彼女との関係は一緒にいる時間がとれないのでだんだん希薄になっていきます

そんなとき劇場で衝撃的なショーを見てしまいます
SMショーでしたが、これを彼女に通用するか試してみたいと思うようになります
でも、ノーマルの彼女にこんなことしたら、死んでしまうかもしれないと思うとそれだけはとてもできませんでした
セックスだけは若さに任せて毎日していました
やがて彼女から『私、月のものがないの・・』
『えっ・・、でも大丈夫言うたやないか?』
『その時はそう言ったけど』
しばし、無言の二人に時間だけが過ぎてしまいます
二人の間に気まずい時間が流れ、しばし疎遠になっていたころ
アルサロのホステスめぐみから食事に誘われます

今日はね、お客さんからチップを沢山もらったから私が御馳走するからと言って
夜泣きそば(屋台ラーメン)に二人で一緒に行ったあとアルコールも入って
そのまま男とオンナの関係になってしまいます
そして、和子とめぐみと三角関係が数ケ月続くこととなります

彼女のおなかはだんだん大きくなってくるし、もうこれ以上は無理!となった時
『明日産婦人科へ行こう!』と切り出すしかなかったのです
二人で育てる自信があれば、彼女を幸せにしてあげれるのだけれど
私はまだ、学生で収入はアルバイトの日銭しかありませんでしたから
堕胎費用の五万円のお金がありませんから実家に嘘を言ってお金を送ってもらうこととなります

そうこうしていると、アルサロのめぐみから妊娠したみたいといわれ、Wショックで
しばらく言葉も出ませんでした
彼女は『産みたい!』ゴ〇『いや、駄目だよ』と数々の言い合いを続けて
ゴ〇がなけなしの3万を払い店をやめることで収拾をつけますが・・」和子との関係もぎくしゃくしたままです
そんな時はいつも大学の講義を抜け出してストリップへ行き、彼女が夜のバイトが休みのときは梅田の泉の広場で待ち合わせをして、よく食事に行きましたがいつも彼女が払っていた記憶があります

新〇急ホテルで食事をした時も当時で二人で1万円位の金額もスパっと出す彼女に申し訳ないのとで、どうしてダメな男なんだろうと思うようになります

そしてある日彼女にお見合いの話がきてこのままでいけないと別れることとなります
そして、毎日のように講義を抜け出してストに通い、バイトに行くという・・荒れた生活をしていました

わたし22歳、彼女24歳の頃だったと思います


最初の別れ〜東京へ

山陰の雪国育ちの和子はしとやかで男を立てる彼女でしたが私が初めての男でした
知り合ったのが19と21でしたからそれまで処女だったのです

三年間のうちによくもここまで変貌したかな?と思えるくらい官能的な女性へと変身していきます
長い黒髪がベットの上でハート型になるのには異常な興奮をおぼえたものです

ある日、和子がアパートを訪ねてきて、『あのね、わたしお見合いをした人と結婚することにしたの・・それで東京へ行くの。。それで、今日がお別れの挨拶になると思う』と言われ半分ショックで泣きべそになっていましたが『幸せにな・・そして、今までありがとう!』と言葉をかけるのが精一杯でしたが、『じゃあ最後にもう、一回だけさせてほしい・・』と言うと彼女は拒みませんでした
無理やりベット押し倒して口づけをし、もうこの雪肌のような白い体もだけないのかと
思うと何度も何度もからだのすみずみまでなぞるように愛撫しました

そしてヒミツの花園に唇を押しあてると白濁液が溢れて、流れ落ちていました

『本当は結婚したいんじゃあなく断りきれなくなったの?
周りに無理やり縁談をすすめられて、(わたしから離す意味もあって)見合いしたんじゃあないの?』と聞くと『うん、、でももう結婚式の日取りも決まってるし後戻りできないの・・』と言われ、『俺が幸せにしてやるよ!』とも言えず別れ際に紙切れを渡されました

そこには東京都大田区蒲田〇丁目  〇〇アパート2Fと書かれた見知らぬ住所でした
それはまさしく彼女の新居の住所でした

それから半年の間は彼女のことは忘れようとしていました住所のメモだけはしっかり持っていました

その間に大学院に進む試験があり見事それに合格してうちゃついた気持ちでいたと時でした

アパートの管理人より『ゴ〇さんオンナの人から電話ですよ・・』と呼び出し電話を受けることとなります
オンナの人?、もしや・・と思っていたら和子からでした

『今大阪に来ているの・・、会いたい』と受話器の向こうから聞きなれた懐かしい声がして
梅田の地下の喫茶店で会うことととなります



ストリップと私!! 不倫編

ノンフィクションなんでほんと文章はうまく書けないけど、リアリティだけはあると思いますのでそこを汲み取ってください

待ち合わせの梅田の喫茶店に行くと彼女は既に来ていました
『待った?お久しぶり!』と声をかけると和子『あの・・ゴ〇さん、わたし二時間だけしか時間がないの・・』と切り出され今、おばの葬儀のために大阪に来ているの・・と言っていました
『旦那さんとはうまくいってるの?』と聞くと彼女は『・・・』黙ったままでした

結婚が決まったあとで向こうの両親がいろいろ素行を調べたらしいの・・
そしてあまりいい印象ではないみたいなの・・言っていました
そして、近々ダンナの郷里の長崎に帰るかもしれないと言っていましたが、
長崎の住所はどこ?とはさすがに聞けるはずもなく、
何を聞かれても、何を言われても旦那さんについていったほうがいいよ!とアドバイスしました

二時間のうちに梅田のラブホで彼女と愛を確かめあうこともできたのですが
人妻の彼女は昔の和子とはちがうので
さすがに『ホテルに行こう!』とは言えませんでした

そして、長崎に帰る前に彼女の生活ぶりをぜひ見ておきたいと思い、
住所を頼りに上京することとなります

それは彼女があまりにも話すことばも弱くて、明らかに悩んでいるのが目に見えたから
どうしても今の生活ぶりを確かめたかったのです

大田区蒲田〇丁目 〇〇アパート

東京駅から蒲田駅に着きそこから住所を頼りに一時間くらい聞き聞きアパートに行くと
彼女がいました
平日でしたのでご主人は仕事でしたが玄関の呼び鈴を押すと中から
『ハーイ』という聞きなれた女性の声
ドアを開けた時の彼女はまさにエプロン姿の主婦でした
彼女はびっくりしていましたが、
夕方でしたので、もうすぐ主人が帰ってくるから、晩御飯の準備をしているので今日は会えない

当然ですよね、人のうちに土足で入り込もうとしているんですから・・

明日、駅前の喫茶店〇〇で10時に会う約束をして立ち去りました
その後は近くのビジネスホテルで私は泊まることとなります



ストリップと私!!

不倫〜渋谷道玄坂〜

次の日の朝、待ち合わせの喫茶店に9:40頃行くと彼女はまだ来ていませんでした
初夏で暑い時だったのでアイスコーヒーを注文しました
そうこうしていると10:00ちょうどに彼女は白のシフォン(背中の大きく開いた首の後ろで結ぶタイプ)ワンピースでミュールをはいて来ました
『待った?』『いや、さっき来たところ・・』
彼女はホットコーヒーを注文しましたが、『ここは地元なので誰にみられてるかわからないので渋谷に行きましょう!』と言いました
注文したコーヒーがまだ来ないうちに決めてしまったのです
そうこうしているとオーダーが来て、彼女は一口飲んで『出ましょう!』と言いました

そして二人で渋谷へ
こうしてふたりで、電車に乗るのしばらくぶりやね・・
いつ以来かね?と言っていると
大阪の北新地で彼女がバイトしているときが最後?かなということで一年以上前のことで二人納得しました
そして2年くらい前には二人で飛騨高山、金沢、能登にも行ったよね・・
『覚えてる?』と聞くと、『うん・・あの頃は二人とも純粋だったよね、
私、絶対あなたといっしょになれると思っていた』と言ってくれました

なれる・・これだけ尽くしてるのだから絶対わかってもらえる
彼女はそのようなことを言っていましたが現実ははなればなれの二人です

まもなく渋谷に到着
東〇百貨店に二人で入り、彼女はちょっと陶器が見たいとのことで食器売り場に一緒に行きました
私はたいして興味がないのですが、彼女がどうしても・・と言うので付き合いました
そこで時間をつぶしてどちらかともなく道玄坂のラブホの方へ歩いていました

二人にとって今日が最後でもう二度と会えないような気がしていました
やがて一軒のホテルの前で私が彼女の手を引いて入ろうとすると彼女は拒みませんでした
当然彼女も覚悟していたのでしょう・・
たぶん長崎に行ってしまったら会えないだろうとわかっていたので・・

そして部屋に入るとしばらくぶりに彼女とふたりになれたこと
に熱いものがこみ上げて抱きよせました
そして口づけ、白のワンピースを脱がせると、彼女はピンクのブラとショーツとシュミーズ
でしたが、当時としてはかなりカットの大きいいわゆる勝負下着だったように思います
これを見て今日は最高のおしゃれをして来たんだな・
ちょっと待って・・と彼女に言われ、ふたりでシャワーへ
そして彼女の口から今まで聞いたこともないような言葉を聞いてしまいました

『今日はめちゃめちゃにして・・そして何もかも忘れさせて・・』
そのあと二人でベットに抱き合って倒れこみキスしてそして乳房をもみ、そして乳首に舌を這わせるというお決まりのコースですが人妻といっても自分のほうがながいのですがなぜか興奮します

よく不倫は燃える!と言われますがまさしくその通りです




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ストリップと私!!


結末までしっかり見てそれから意見を言いましょうね・・

ストリップと私!!
【修羅場】

今日はめちゃめちゃにして!そして何もかも忘れさせて!

おとなしそうですが芯の強い彼女は相当の覚悟があったものと思います
一度燃え上がった二人に冷静になる時間などなかったし必要なかった

そして二人が一戦を終えて冷静になり
『これからどうするの?長崎行くの?』と言うと彼女は黙ったままでした
しばらくして和子は
『ゴ〇さん、わたしもうどうしていいかわからないの?』と言うから
『オレが幸せにしてやるから一緒に大阪へ帰ろう!』と言えるはずもなく、
あと二年学生をするので今彼女を幸せに出来るはずもなく
そうこうしてるうちにホテルで三時間の時間が過ぎていました
結論はでないままです!

二人でホテルを出てお腹すいたね・・うん、何か食べる?
と言って二人で和食の店に入りました
私はかつ丼、和子はオムライスです
二人で食事するのも久しぶりで彼女が割りばしを割って、替えのお茶も汲んでくれる姿はまさしく知り合った時からおなじです

そして店を出て、山手線、京浜東北を乗り継ぎ蒲田の駅へ
彼女がここでいいわ・・というので改札出ないで見送り、
ちょっと待って・・と彼女を呼び留めます

もし何かあって連絡が取れなくなったらここに連絡してと
私の実家の住所と電話番号を教えておきました
もちろんアパートは呼び出しですが電話番号、住所は知っています
これだけ教えておけば絶対にどれかで連絡とれるはずです

そしてその日の最終の新幹線で大阪に帰ることになりますが
彼女は主婦のため夕刻家は空けれませんので見送りはありませんでした
当然といえば当然です・・

そして大阪に帰り彼女のことは嫌いじゃあないし、学生で生活能力もないしと悩んでいると
一本の電話がかかってきました
管理人より呼び出しがあり、出ると見知らぬ男の声で
『ゴ〇さんですか?
私、中〇といいますが実は和子のことでお話があるんですけど・・』
実は九州に近々帰るんですけど和子がどうもあなたのことが気になっているようなので
あなたにお渡たししようかと思っているんですが・・・
とそのような電話でした
できればお会いしてそのことをお話したいのですがと言われましたが
小心の私は怖いひとでも一緒に来やしないかとビビり
いや、今学校が忙しいので当分お会いする時間がありませんと言ってしまいます

そのことが彼女をさらなる不幸へと追いやることとなります




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ストリップと私!!
夜行寝台特急『さくら』

東京から長崎まで1350KMを19時間で走っていた電車です

和子をあなたにお渡ししようと思っているんですが・・・
彼女はなんだか物のように扱われてるな?とちょっと可哀そうになってきました
そうこうして1週間経ったとき、和子より電話があり
『明日、長崎に主人と一緒に帰ります、寝台特急さくらで
東京駅を17:00にでて長崎は翌日の13:00頃の長旅です、大阪には日付変わった1:00前に通ります』と言いました

私はまず彼女とご主人を大阪駅で見送ることしかできない
ご主人がいるから声はかけれないだろうが見送ることはしてあげれる
そんな想いでいっぱいでした
いよいよ、大阪駅に来るという夜中の0:00ごろからホームを落ち着かずうろうろしていました

やがて大阪駅のホームに『さくら』が滑り込むこととなります
私はどうしていいかわからず、たたずんでいました

ここで彼女を降ろせばよかったのでしょうが、そのような勇気もなく、ましてご主人との電話交渉も一方的に破棄していますので、そんな大胆な行動にでれるわけもありません
列車番号をあらかじめ聞いていたのでその前でただ、頭を下げて見送るしかなかったのです
愛する人、いや愛した人に幸せになってもらいたい

そして帰りの電車がなく朝まで大阪駅で過ごすこととなります

そして3ケ月後長崎に帰ったはずの彼女から、今大阪に帰ってきているの・・
と電話がありました
どうしても彼の両親となじめず、彼も実家に帰ったら私より両親にべたべたなの・・
私、毎日2Fの部屋で泣いていたの・・
そして離婚したの・・
と悪い予想的中の結果になってしまいました

今、千里〇で産婦人科医院の住み込みで看護婦見習で
昼は天王寺の看護学校に空いた時間は病院の掃除などしていると
言っていましたが25歳からの再出発です

離婚をして思ったのでしょう!
手に職をつけておこうと・・それが看護婦だったのです

近々、人妻じゃあない和子と会うこととなります


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ストリップと私!!
☆再会☆

お待たせしました・・と言っても誰も待ってませんが(笑)
秋の夜長の暇つぶしに最初からお読みください

そして3日後に梅田の懐かしい阪急東商店街の喫茶『白〇車』で会うこととなります

和子『待った?』、ゴ〇『イヤ、今来たところ』

三ケ月ブリに会う二人に言葉はいらないし、お互い独身の身ならなにかやってはいけないと規制を背負っているものがなくて二人は一年前の二人に戻っていたのです

今、これからオンナ一人で生きていかなくてはならないかも知れないので
手に職をつけようと思って住み込みで看護学校に行ってるの・・
『お給料は学校に行かしてもらって空いた時間を医院で働いても5.6万円しかもらえないの・・』と彼女は言いますが昔の昼はOL、夜はホステスのハブリの良かった時代〜一変して細々と暮らす生活へと変わってしまいました

それでもいいの・・
『あのね、産婦人科医院なので生まれたばかりの赤ちゃんを見るのだけれどすごくかわいいの・・』
それは二年前に自分が堕胎した子どもとダブらせているのだろうか?
彼女の胸のうちを察すると私は『赤ちゃんかわいいよね・・』と言うのが精一杯でした
そしてもうすぐ24才の学生で収入なしやし、26才前で離婚経験の二人にはお金は底をついた状態でした
でも、それから何度もデートもしますが二人ともハートが熱かったから、不思議と貧乏とは思いませんでした
二人で行った嵐山、比叡山、夏は須磨海岸に泳ぎに
そして東京にも再び行きましたが蒲田と渋谷へは行きませんでした
昔を思い出してしまうからというか忘れてしまいたいから・・
新宿で遊びましたね
彼女は学校、病院(夜勤)と頑張っていましたのですごく拘束時間が長くて会う時間もまならなくなります
そんなときは時間潰しはいつも決まってストリップでした

そして、わたしは2年の大学院を卒業して田舎に帰ることとなりますが、引っ越しの手伝いをしにアパートまで来て私の両親とも会いますが何か雰囲気がちがいます
彼女がバツ一だということは話していましたし、私と付き合っていたことも話しましたが
うちの両親からまだ結婚の約束もしていないのに猛反対の嵐です

昔は離婚をすると相当かぜあたりが強かったのです
今はそんなことはないと思いますが堅い父親は叩き上げの公務員でしたから世間体というものを相当気にして生きていました
だから、私みたいな反骨が生まれちゃったのかもしれません(笑)
それでも、彼女との連絡は実家と医院で電話で取れていました
時々、大阪に遊びに行ったり彼女が広〇に来たりしていました
そんなこんなで1年がたとうとしていました・・

今の嫁さんが彼女、和子ですと言えば、ハッピーエンドなのでしょうけどそうはいきません

まだまだ引っ張ります(笑)



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ストリップと私!!最終章

そんなこんなで彼女とおつきあいをしていまして、ある日彼女が私の実家に泊まりに来ることとなります
食事をして挨拶をかわして、そろそろ寝ましょうかという時、私の母親も気を利かせばよかったのでしょうが、30年前ですからよその娘さんを息子と一緒に寝かせてはまずいいと思ったのか、彼女は客間に私は離れの自分の部屋で寝ることとなります
(この間息子の彼女が泊に来た時は妻は同じ部屋に二つ布団をひいていましたが・・)
時代が変わればチョットしたタイミングをのがすこともあります

彼女は『夜中に淋しいから部屋に来て!』と寝る前に言いますが私はその日疲れていたのと
両親の寝室の下が彼女の寝ている部屋だったのでどうしても和子が寝ている部屋へは、しのべませんでした
今思うと彼女はこの一晩の私の行動にかけていたのかもしれません。。。
結婚できる・・結婚できない
まず部屋が別々、それならば夜中に来てくれると・・
どちらもダメならもう終わりかな・・と
もっと早くにオンナごころをわかっていれば彼女を幸せにできたかもしれませんね

次の日の朝も彼女は両親、祖父母に丁寧に挨拶をして我が家を後にして
二人で海の見える尾道の千光寺公園行きました
そこで彼女は『昨晩どうして来てくれなかったの?
私はやっぱりあなたに愛されてないのね?』と言います
私は特別反論できる材料もなく、『ごめん!昨晩は疲れていたから』
と言うのが精一杯でした
(実際大阪から車で二人でドライブしていた)

『私はいつもこうなの・・もう慣れてるから』
確かに彼女は離婚もして強くなっていました
朱〇園の尾道ラーメンも行列を並んで食べました
二人で入った最後のモーテル
今もありますがあれ以来入る機会がありません

そんなこんなで
彼女はそろそろ大阪に帰らなくてはならない最終の新幹線の時間となります
ホームのドア越しに見送る姿は今も昔も変わりません
恋人同士が別れを惜しむ姿を見るたびに時間を止めてあげれたらいいのにと思う次第です

今もストリップからの遠征から帰る時よく恋人同士がデッキをはさんで別れを惜しんでいるのを見ますが、この人たちには私の二の舞をしてほしくないなと思います
自分の愛する人を大事に守ってあげてほしいな!といつも思います

私も三〇年前にそうでしたから・・

その後彼女に何度か病院に電話しますが、忙しくて会えないようなことを言われ
だんだん疎遠になっていき、いまのカミさんとの出会いもあって会わなくなってしまいます

息子、娘には私のように後悔してほしくないと思っていますし、今の時代に親の言いなりになる子供もいないと思いますが、だから懺悔の気持ちも込めて
鳥取出身の踊り子さんと悲劇のヒロイン和子似の踊り子さんを応援したいのです

今後とも両名の踊り子さん(あえて名前は出しません)よろしくお願いします

10歳の時から変わらないのは・・

そして今、会いたい踊り子さんがいるから応援する
明日には会えなくなってしまうかもしれないから・・・

- 01/31 14:01
- ゴ0


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