2016年7月26日(火)四谷の「喫茶茶会記」に行って裸猿(らざる)Exhibition vol.2「レメディオス〜小説「百年の孤独」より〜ヒト、オト、ヒカリ」を見てきました。出演は八巻昭悟、mio、吉田慶子(フルート)、show(クラリネット)、石田えり(ピアノ)、渡辺りみ(VJ=映像)の皆さん。
副題の通り、生身の人間と生演奏、そして映像のおりなすファンタスティックなステージで、斬新な企画でありながらどこか懐かしいような、そして心があたたかくなるような観劇、というより体験でした。以下,簡単に。
(注)百年の孤独:ノーベル賞作家ガルシア・マルケス(1928〜2014)の長編小説。その後半に登場する「小町娘のレメディオス(Remedios the Beauty)」は、子供のような純真すぎる心を持った娘。
小雨の降る中、着いたのは開場予定の午後7時の少し前。ここへ来たのは5月以来です。すでに行列が出来ています。少し遅れて開場。入場料は予約してあったので3500円、ドリンクを貰って店内に入ります。あと少し待って奥の間に入ります。かぶりの席はすぐ埋まってしまい、私は2列目に掛けました。
舞台には(段差はありませんが)上手にアップライトピアノ、中央には白い布で覆われた高さ1m幅1.5mほどの台。奥の壁面は白く、天井には赤や緑のカーテンのようなモールのようなものが波打つようにかかっています。南欧かカリブか、どこか遠くの国のようです。
7時半近くなってスタッフの男性が諸注意を言います。写真撮影やケータイ使用の禁止など。そして開演です。
場内の照明が消えていき、暗い中、舞台に何人か現れたようです。
ピアノの演奏が静かに始まり。照明がつくと、
mioさんシースルーの白い布を体に軽くまとって、台にこしかけています。まるで古代ギリシアの神殿みたいです。
音楽と同調するように、万華鏡のような様々な模様が動画で投影されます。しだいに遠い遠い記憶の世界にもどっていくような…
ここでミオさん手にした本を開いて
「小町娘のレメディオスだけがこのバナナ熱にかからなかった…」
と朗読を始めます。透明感のある声で、さっそくこの物語世界にいざなわれます。
なおこの編の主役レメディオスについては、mioさんがツイッターで簡潔に言い表していますのでそちらを拝借します(^^)
「レメディオスは運命を切り開こうともせず、拒否もせず、自分の欲望(幼い子供のように無邪気な)に忠実に、
純粋に日々を生きます。私はこの生き方に共感します」
ステージは進んでいきます。
朗読しているmioさんがレメディオスと重なったり、あるいはそれを時にクールに時にあたたかく見守っている神の視点に思えたり。
そんなふうにして朗読は進んでいきます。
ほぼ全編にわたって石田さんのピアノが、また物語の転換点では
吉田さんのフルートが、そしてshow君のクラリネットが。
show君は身体表現者としても八巻氏とともに舞台に参加。お2人男のセクシーさ一杯に演じてくれます。
そして渡辺さんの映像と一つになって、このあまり広くはない会場に
幻想的で美しい、スケール感のある空間が創られていきます。
夢の中でしか存在しない、その一方で、もしかしたらごく身近にあるかもしれないような。
多くの曲が出てきましたが、覚えているのは
シューベルトのアベマリア。show君がクラリネットであえて無骨に吹くところは、
このレメディオスに恋して死んでいった男たちの情念を表しているようで、切なくなります。
このほか,ドビュッシーの月の光や、
ショパンの雨だれだったか、別れの曲だったか。これらの曲が効果的に、というよりまるでこのステージのために生まれた曲のように聞こえてきます。
朗読が終わり、
いったんmioさんに赤い布がすっぽりかぶされます。
しばらくしてその布を取り去ると、胸をあらわに。そして
昇天するレメディオスのような静かな舞い。すなおにきれいです。
やがて男性2人がそれをいつくしむように優しくエスコート。
このあとよく覚えていませんが、
ラストは「新世界より〜家路のテーマ」が流れる中、夕暮れの明かりのような照明の中で
舞台に5人そろって笑顔、だったような。ハートウォーミングなエンディングでした。拍手。
そのあと八巻氏の司会でカーテンコール。順に話していきますが、
ピアノの石田さん「私は舞台の方は全然見られなかったので後で録画を見ます」とか
吉田さんはフルートだけでなく歌やミュージカルもやっていますとか、
show君が、自分は楽器演奏だけでなく身体表現もしたいと言っていたのが印象的でした。
そんなふうにして終わります。改めて拍手。
なごりおしいですが、私はアンケート用紙に急いで感想を書いて、会場を後にしました。
以上記憶不正確です。ぜひ再演あるいはDVD化されることを希望します。
- 07/31 18:37
- 見物人